[ 今月のコラム ]   12,05,01

●「東日本大震災この1年を振り返って」 ――改めて「神前拝詞」を頂く――

 この災害は、87歳になる私にとっても、1945年8月15日(当時20歳)に次いで、いやそれにもましての大シヨックなことであった。人間の猛威・暴走(世界大戦)から自然の猛威(大震災)へと移ったこの現実をどう見るべきか。

 金光教の「神前拝詞」では、「天地に生命(いのち)があり、万物はこれによって生かされている」という根源のところが示されている。自然災害、巨大地震、大津波、そして人災めいた原発事故を考えるのでさえも、人々よ、まずこの事を直視しなさいと呼び掛けられる。更に、「天地に真理(まこと)があり、それによって万事が整えられる」ともある。政治や経済の問題にしても、行き着くところ、最後は真理によって調整されていくというのである。そこでは長期視野を堅持すべしとも迫られる。

 信心生活60年。今、東日本大震災を通して、「神前拝詞」の頂き方が確信的に傾倒姿勢(丹念に小声で拝読)に変わらされた。天地の構造、人間の在り様がハッキリとしてきた。またこれを契機に新聞(70年間A紙オンリー)の読み方も変って来た。

 「生命」と「真理」これがカギであると思う。

                                  碑文谷教会 服部実

[ 今月のコラム ]   12,04,01

●隗(かい)より始めよ

 4月は入社式・入学式が行われる月ですが、今の社会は、まずは頭で考え結論を出すという思考が増え、何事も結論を急ぎがちになってきています。
 「隗(かい)より始めよ」ということわざがありますが、まずは自身率先して取り組みたいものです。そして嫌なことも率先して行う事が、自分自身の成長・経験に繋がるものだと思わせて頂きます。
 何事も一人でするのではなく、神様と共に二人三脚で「させていただく」ことが先に繋がる取り組みだと思います。そしてその姿は神様だけではなく、周りの方々が見ており、そこから助け合いの精神が生まれてくるのも事実です。
 混迷の世の中で、被災地では難儀にあわれている方々が復興に向けて努力されています…。 我々も心の向きを変え、足下を見つめて新社会人・新学生に見せる事が大切なことだと思います。                                        太田恵幸

[ 今月のコラム ]   12,03,08

●人と人とのかかわり

東日本大震災の被災地では、半年ほど前から避難所生活から仮設住宅での生活に移り、阪神・淡路大震災でも見られたように、多くの仮設住宅でそれまでの地域のコミュニティが断ち切られ、精神的苦痛からひきこもりや高齢者の自殺問題など、心のケアが求められるケースが増えているという。
一方、都会でも「孤独死」という言葉が世にあらわれて久しいが、最近も「孤独死」のニュースが駆け巡った。長期間にわたり周囲に気付かれることなく、ガスや電気の使用量の異常さから発見されたものだ。向こう三軒両隣という昔の地域の関わり方が薄れ、地域のコミュニティの希薄さが招いた事故であろう。
私たちが相手にしているのは瓦礫や泥ではない。人に親切を尽くし、人とのかかわりを大事にすること、これは被災地でのボランティア活動で教わったことだ。被災地の支援と地域のコミュニティ、どちらも、「人が人を助けるのが人間である」という、人と人との関わりが求められている。
                                             (阪本正雄)

[ 今月のコラム ]   12,02,01

●大きな便り、ありがとう

 外国から娘が2才の孫娘を連れて、遊びに来てくれました。久しぶりに会う孫は可愛く成長していました。
 日本食が合わないのか、長旅の疲れなのか食欲がなく、どうしたものかと思っていたら「この2日間、便が出ないのよ」と娘が言い、やっと2日目、真っ赤な顔で「ウーン」と頑張って、大きな便を出しました。
 娘が「よく頑張ったね。お利口さん、ありがとう。ありがとう。」とオムツを替える姿を見て、食べる時は、美味しい美味しいというが、食物が喉を通ったら、排便までの間は何の御礼も申していない。便は臭い、汚いとか思ってしまう。
 日々の大きな便り、小さな便りに、どれ程、お礼を申せてる自分であったかを感じさせられる光景でした。毎日食物を頂く時のお礼の何倍も排便にお礼を申さねばと教えられたバアチャンでした。
バアチャン

[ 今月のコラム ]   12,01,01

●思うこと・願うこと

 人は不満があったり、自分の考えたこと通りには、なかなかうまくいかない。人に何か頼んでもやはり、自分の思っていることとは異なる。充分に自分の思っていること、願っていることが満たされることは大変難しい。
 しかし、いろいろと思うこと、願うことの積み重ねによって、自分の考えたことに少しづつでも近づくのではないだろうか。また、願っていれば、何とかなるというものでもないが、日々、自分自身が努力すること、がんばることで、その思いや願いに近づきおかげが頂ける。そして、自分自身のことだけでなく、人のことも同様に、いやそれ以上に思ったり、願ったりすること。人のことを、自分のこととして思い願えるように、日々祈らせて頂くことが大切ではないだろうか。

太田 昇

[ 今月のコラム ]   11,12,01

●思い合う心

 さだまさしさんの「案山子」(かかし)の曲が流れると、亡き兄を思い出す。毎年暮れも押し迫ると、「元気か?年は越せるか?」と電話してきた。戦時中、極寒地での捕虜生活で性格が荒くなったと母は嘆いていたが、生を受けた時頂いた魂の真髄は変わる事が無いと思う。

 以前大勢の人の集まりの中に、腰の曲がったお婆さんがいた。兄は「年はなんぼへ」と尋ねた。「80歳です」「そげえなるへ」と驚いていた兄は、「あんた気を付けて帰りなさいよ」と、まっ白い歯を見せ、肩をぽんぽんと叩いて、笑って送り出した。お婆さんの顔はみるみる明るく元気になり、腰を伸ばし「へい」と言って嬉しそうに帰って行った。兄の、相手を思いやる心がストレートに伝わって相手も元気になり、兄の本質を垣間見た気がした。

 暮れに向かい、最近の暗いニュースの多い中で、せめて元気な心で、さだまさしさんのような温かい気持ちを込めて声を掛けたい。「お元気ですか?…」        岩田 幸子

[ 今月のコラム ]   11,11,11

●人が人を助けるのが人間である

3.11以降、人が生きる上に、多くの学ぶべきことがありました。

震災をある方は、「天罰だ」と言います。別の方は、「神様は、人の難儀をどんなに悲しんでおられるか・・・」と信心で考え、また、「今、何が自分にできることか?」と自問自答し、それぞれに、自分の生き方を考え直す日々が続いていると思います。

その中で、ディズニーランドのスタッフの、とっさの素晴らしい対応を耳にし、感心させられました。
「お客様をいかに安心させ、安全に誘導できるか」というプリンシプル(物事の本質)に心を配り、当時いた7万人のお客様を、無事に避難させたとのことです。
1万人のスタッフの中の、9割はアルバイトだったそうですが、彼らが想定外の災害に対してとっさに判断し、スピーディーに行動できたことに驚きを覚えます。

例えば、
①地震直後、ディズニーランド内にアナウンスが鳴った。これまでは、「夢の国」を実現するために、一切の館内放送を行うことがないのに、お客様の動揺をおさえ、安全を確保するために実施した。
②店舗内の販売用のぬいぐるみを無償で配り、防災頭巾がわりに頭を守るよう訴えかけた。
③当日は雨混じりで、気温は10度前後と冷え込んでいたため、お土産用のビニール袋や段ボールを配り、寒さをしのいだ。
④同じ姿勢のままだと体に良くないので、柔軟体操の指導を行った、など。

かねて、 「人が人を助けるのが人間である」と、教えて頂いていましたが、私はその言葉の表面しか理解していませんでした。
あのディズニーランドの事例から、その言葉の持つプリンシプル(本質)にまで、心配りが出来ているだろうか、と改めて気付きを得ました。
想定外のことは、人生日々起こりうることですが、適切な行動がとれるよう判断を下さなければなりません。震災を機に、「人が人を助けるのが人間である」との本質を究めつつ、人間としての責任感を持って、いつ、どんな時でも、人のお役に立つ行動を、自発的に起こしてゆきたいものです。それぞれの責任を自覚して行動することが、人も助かり自分も立ち行くことに通じていくと信じるからです。
人という文字のとおり、人は、支えあって生きて行くのですから・・・       金子 惠

[ 今月のコラム ]   11,10,01

●神様の愛し子

 先日、東京・渋谷のライブハウスで放火未遂事件が起こりました。未遂で終わり、本当に良かった…と、神様に御礼申し上げました。そして現場に居合わせた方々は、とても怖い思いをされたでしょうし、その方々が事件の後遺症などで苦しまれないように、神様にお願いもさせていただきました。そして容疑者の方が、このような事件を起こしてしまい、私はとても悲しい気持ちになりました。
 自ら命を絶たれる方も後を絶ちません。事件を起こす人も、自殺する人などみんな、神様のかわいい大切な愛し子です。わが子がこのようなことになり、神様はどれほど悲しまれておられるだろうか…、と思うと胸が痛みます。何か事を起こす前に神様と出会っていたら…、苦しい胸の内を親身に聴いてあげられる方がいたら…と思わずにはおれません。
 一人でも多くの方が、天地の親神様と出会い、御慈愛にふれて、救われていくことを願ってやみません。そして、少しでも神様のお役に、人の助かりのお役にお使いいただきたいです。         

田林 信彦

[ 今月のコラム ]   11,09,04

●実力の錯覚

昨今は、携帯電話やインターネットが当たり前の世の中になってきました。
かく言う私も、手紙や本の辞書を使う事より、携帯電話のメールやインターネットで調べ物をする事が多いのであります。
メールだとすぐ相手との連絡が出来、調べ事をする時もインターネットを使えばすぐ意味やニュースに辿り着きます。
これだけ見れば便利なのですが何かと依存してしまい、手紙を書く時には漢字がすぐ出てこなかったり、インターネットで調べた後、しばらくたって必要な時に覚えてなかったりと・・・。
当たり前の様に依存をしている物をふと手放した時に、不甲斐ない自分に気付くのです。インターネット等は決して自分の実力では無いのではありますが、自分の実力の様に錯覚してしまうわけですね。
すぐ楽なほうに逃げてしまう私ではありますが、改めて自身の実になる努力をさせて頂こうと思い、本の辞書を広げて手紙を書いたり調べ物をしたりと葛藤しております。
確かに効率は落ちますが、一つでもお役に立たせて頂ける様な自分にならせて頂きたいと思います。

sakusa

[ 今月のコラム ]   11,08,01

●暑さのおかげ

「クールビズ」という言葉は近年なじみがでてきたが、今年はそれをもっと進化させた「スーパークールビズ」が推進されている。
地球温暖化対策の一環としての従来の取り組みに加え、今年は節電の必要性からより徹底することが求められている。冷房時の室温28℃、暑さをしのぐための工夫、軽装など、自分の周りを見渡してもかなり浸透していると感じる。
会社でも扇風機はもちろん団扇や扇子も大活躍である。皆が汗をかき、汗をふき、涼しい風でしのぐ。少し時代が逆戻りしたような感じもするが、なかなか心地よくも感じる。
考えてみれば効率性を方便に、有難いことばかりの日々が「万事当たり前」、と慎みをわすれて過ごしていたことに気づかされる。夏の日差しや暑さに汗をかける身体、暑さをしのぐ人々の知恵も、すべて天地からのいただきものであると、改めてかみしめる機会をいただけたように思う。

(N-ksk)




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